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ハインリヒ2世 (オーストリア公) : ミニ英和和英辞書
ハインリヒ2世 (オーストリア公)[はいんりひ2せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ハインリヒ2世 (オーストリア公) : ウィキペディア日本語版
ハインリヒ2世 (オーストリア公)[はいんりひ2せい]

ハインリヒ2世ヤゾミルゴット(Heinrich II. Jasomirgott, 1107年 - 1177年1月13日)は、ライン宮中伯(在位:1140年 - 1141年)、オーストリア辺境伯(在位:1141年 - 1156年)及びバイエルン公(ハインリヒ11世、在位:同)、後にオーストリア公(在位:1156年 - 1177年)。バーベンベルク家の人物。オーストリア辺境伯レオポルト3世神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の娘アグネスの子で、バイエルン公を兼ねたレオポルト4世の兄。シュヴァーベン大公フリードリヒ2世ドイツ王コンラート3世の異父弟にあたる。
バイエルンはヴェルフ家ハインリヒ傲岸公からコンラート3世が取り上げ、レオポルト4世に与えた領土である。ハインリヒ2世は弟のレオポルト4世の死後にバイエルン公国オーストリア公国を手に入れたが、傲岸公の一人息子であるザクセン公ハインリヒ獅子公が皇帝フリードリヒ1世(ハインリヒ2世の甥)にバイエルンの返還を要求、1156年にフリードリヒ1世は要求を受け入れてバイエルンを獅子公に与えた。代わりにハインリヒ2世をオーストリア公に叙爵、オーストリア辺境伯領を公爵領に昇格させた。
1147年シュテファン大聖堂の建設を始めた。1155年頃、首都をクロスターノイブルクからウィーンへ遷都、以後ウィーンはオーストリアの首都となった。1177年に死去、オーストリア公位は2番目の妃テオドラ・コムネナとの間の息子レオポルト5世が継いだ。
== 子女 ==
1142年神聖ローマ皇帝ロタール3世の娘でハインリヒ獅子公の母ゲルトルートと結婚したが、子の無いまま翌1143年に死去。
1148年東ローマ皇帝マヌエル1世の姪テオドラ・コムネナと再婚、3人の子を儲けた。
*アグネス(1154年? - 1183年) - ハンガリーイシュトヴァーン3世と結婚、のちケルンテン公ヘルマン2世と結婚
*レオポルト5世(1157年 - 1194年)
*ハインリヒ(1158年 - 1223年) - メドリンク公






抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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